プラネタリウム・ラプソディ
「プラネタリウムを作りました。」大平貴之(エクスナレッジ)を読んだ。
著者は、メガスターという170万個の星を投影できる世界最高性能のプラネタリウムを一人で作り上げた人である。 ネスカフェ・ゴールドブレンドのコマーシャルで満天の星を見ながら「唐沢さんもすごいですよ」と、訳のわからないことを言っている、あの男である。
ここまで書くと、ああ、あの人ね、と、ピンとくる方もいると思う。
本の内容は、著者が世界最高のプラネタリウムを完成させるまでの経緯がつづってある。 失敗の数々、協力してくれた人たちへの感謝、完成の喜び、上映会で観客に感動を与えたことなどが、謙虚なことばで語られており、著者の人間性がにじんでくるような本である。
私は何度も目頭を熱くしながら読んだ。最近歳のせいかやたら涙もろいのだ。
違う!
プラネタリウムとは、私にとってとても思い入れのある言葉なのだ。
今から23年前、私は当時としては学生手作り日本一のプラネタリウムを作ろうとしていた。
今日はプラネタリウムの本を読んだ余韻で、この話をしたい。
私は当時、徳山工業高等専門学校の3年生だった。星がとても好きだったので、毎月天文雑誌を購読していた。ある月、どこかの高校の天文部が文化祭でプラネタリウムを作ったという記事が紹介された。これを読んで、ぜひ私もやってみたいと思った。これがスタートだった。
私は「高専祭」という学園祭での上映をするため、実行に乗り出した。まず、学生会の役員選挙で副会長に立候補した。学園祭で必要な予算を確保するのが目的だった。今もそうだろうが、学生会の役員に立候補する奴なんてのは滅多にいないので、無選挙当選だった。それは3月のことで学園祭は11月のはじめだったと記憶している。
プラネタリウムは丸いドームの中に星を投影するシステムのことだ。行ったことのある人はご存じと思うが、普通のプラネタリウムは投影機というものがあって、これがドームに星を映し出す。先の大平氏もこれを作った。私は雑誌で読んだ方法が遙かに簡単なのでこれを採用した。
原理はとても簡単である。ドームの内側に星の位置と明るさを位置出しし、ここに発光ダイオードを取り付け、配線し、電気を通すのである。この方法の長所は、簡単で技術レベルが低くても製作可能であること、明るさが違っても星の大きさが変わらないことである。2番目のメリットはちょっと難しい話だけど当時の私はこのことに非常にこだわった。短所はたくさんあって、星の数が増大すると発光ダイオード取り付けの作業が非常に煩雑になること、星が動かないこと等々である。2番目の短所は致命的である。でも、いい。とにかく作ることになった。
徳山高専には土木建築工学科、情報電子工学科、機械電気工学科があって、1年生から5年生までがいる。学園祭は4年生がリーダーであった。私はそれぞれの教室に単身乗り込み、協力を要請した。土木にはドーム製作を、情報には発光ダイオードの配線と、星の位置をドームに出すための座標計算を、機械には星の明るさの制御を含む電気関係をお願いした。
予算はたしか120万円だったと思う。 予算を元にドームの大きさと貼り付ける発光ダイオードの数を決定した。 ドームの大きさは直径10mだったと思う。建築工学の助教授に構造と製作方法を相談したら、バックミンスター・フラー(1895-1983 米国の天才的な建築家、哲学者、地図制作者、「宇宙船地球号」という言葉で知られる。)が発明した張力構造体というとても特殊な構造で作られたドームの写真が載った本を示し、「これで行こうと」と断言した。
これはものの見事に失敗し、というか、まったく何も理解せずに全く別のものを作っていたのだが、できあがった骨組みは伏せたお皿の形だった。しかたなく学校の隣の山の竹を切ってきて加工し、これを補助的に使用して、なんとか半球形を作り、遮光をするために黒いカーボン紙を貼り、内側に模造紙を貼ってドームは完成した。
発光ダイオードも一悶着あった。相談に行った電子工学の助教授は、数十個の発光ダイオードで主な星座を作り、後は適当に暗い星をちりばめれば素人にはわからない、といった発言をした。これは当時の私のプライドを大きく傷つけるものだった。作るのはプラネタリウムである。遊園地のアトラクションの夜景ではない。
星が動かないことも問題であった。結局、夏、秋、冬の星空の4等星までを貼り付けることにした。これで発光ダイオード約1200個だったと思う。一度に光る星は約400個である。メガスターの170万個(実際は地平線より上の約半数の85万個だろうが)に及ぶべきもない数だが、当時の私はこれが手作り日本一と思っていた。
地球から見る星には座標が決まっている。どの星が何月何日何時の地球上どの位置で、北を0度とした何度の方角(北半球)の地平線を0度とした何度の高度にあるかは、比較的簡単な計算で求めることができる。しかし、数がたくさんあるのでコンピュータが得意な友人に計算を依頼した。変換された座標をトランシットという測量器械でドームの内側にマーキングし、そこに発光ダイオードを取り付け、明るさごとに別系統の配線をする作業が毎日放課後(時として授業中に)行われた。
当時の私はプロデューサーとしてとても優秀であったようで、私は地元の新聞テレビラジオを有効に活用し、多くの観客を呼ぶことも忘れなかった。
さて、プラネタリウムを製作した者が、そのプラネタリウムの投影の解説をするのはとても幸せなことであり、誰でもできることではない。それがどのくらい感動的なことであるかは、経験した者にしかわからない。 私は、規模やできのよい悪いは別にして、大平氏の本の中でプラネタリウムを投影する場面が出るたびに、23年前の自分とオーバーラップさせて、感慨にふけった。
大平氏の本の一節。クリスマスにメガスターを一般上映した時のエピソード。
アンケートのうち、とある女性からいただいた一枚を見て目頭が熱くなった。「あまりに素敵すぎて、隣にいる恋人と結婚したくなりました」
これを見たとき、僕の苦労は報われたと実感できた。ありがとう。
残念ながら私が企画したプラネタリウムにはこんなエピソードはない。それでも、1回目の投影のとき、秋の星座の解説を終え、冬の星座に切り替えた瞬間の歓声は、23年たった今でも目を閉じると容易に思い出すことができる。


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